2024 時田直善 祝舞

  • 商品説明・詳細

  • 送料・お届け

商品情報

時田直善の祝舞 祖父が購入後保管しておりました。 長期自宅保管品です。 木箱に少し歪みがあります 習志野文化ホールの開館記念時に販売されたものです。 とても貴重です! 61×28cm 時田直善 房総の自然をこよなく愛し、多くの名作を生んだ千葉県を代表する日本画家。 直善氏は、明治40年に市原市(旧五井町)の足袋製造業者の家に生まれる。 関東大震災のあった大正12年、17歳のとき、足袋布裁断機で両親指を切り落としてしまう。 父親は、針を持てない手を見て、「足袋屋はできない。絵でもかかせるか」と嘆息した。 しかし、これを聞いた直善氏は、これで好きな絵がかけると踊り上がって喜んだという。 親指がないハンディキャップを抱えつつ、大正13年、川端画学校日本画科に入学する。 その後の努力は大変なものだったと想像されるが、昭和元年、川端画学校を卒業、その後、蔦谷龍岬の鐸鈴社に入門し昭和2年まで画学に励んでいる。 昭和3年より、千葉市吾妻町で時田洋品店の経営にあたったが、商才を発揮し、意表をつく商法で営業成績を伸ばしていた。 昭和11年、千葉県美術協会の発足と同時に会員となるとともに10年ぶりに絵筆を執り、同年に開かれた第1回千葉県美術協会展に、何気なく描き上げた「鵜の森」を出品する。 この作品に対する評価は高く、引き取りたいという人も出てきたということである。 直善氏の、画業への思いは再び燃え上がり、同年、第8回青龍社展に寝る間も惜しんで描き上げた「浜上がり」を出品し、初入選を果たした。 その時、川端龍子は、「・・・・・波荒き外房の動的なものと対照して、その平和な静的の漁村の娘にも迫っている逃れられない生活苦―婦女題材のうちにそういった同情を向けての画因だ」と、高く評価している。 また、龍子は、堂々「時局的なものに敏感であれ、生活の中から題材を得よ」と主張しており、 直善氏の絵はまさにその実践となったのである。 昭和12年、結婚を機に習志野市津田沼に転居し、アトリエを構え創作活動を本格化させる。 その後、青龍社の四天王と称されるようになった活躍は、略歴に記載したとおりである。 房総の自然をこよなく愛し、多くの名作を生んだ千葉県を代表する日本画家。

残り 1 10,000円

(923 ポイント還元!)

翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く

お届け日: 11月27日〜指定可 (明日11:00のご注文まで)

  • ラッピング
    ラッピング
希望しない
希望する ( +600円 )
希望しない
数量
同時に5点までのご購入が可能です。
お気に入りに保存

対応決済方法

クレジットカード
クレジットカード決済
コンビニ前払い決済
コンビニ決済
代金引換
商品到着と引き換えにお支払いいただけます。 (送料を含む合計金額が¥284,473 まで対応可能)
ペイジー前払い決済(ATM/ネットバンキング)
以下の金融機関のATM/ネットバンクからお支払い頂けます
みずほ銀行 、 三菱UFJ銀行 、 三井住友銀行
りそな銀行 、ゆうちょ銀行、各地方銀行
Amazon Pay(Amazonアカウントでお支払い)

大量注文に関して

30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください

お問い合わせはこちらから